仕事を「断らない力」
上司に迎合するのでなく、媚びるのでもなく。
上司の指示の一つひとつに、論理性や合理性、整合性を要求し、
その条件を満たさなければ、「そんな指示はおかしい」「言っていることがちがう」と(相手のいないところで)批判をし、
挙げ句の果てに、
「だから自分は上司の指示に従う必要はない」
「自分の納得していない仕事を無理に引き受ける必要はない」
と強制的に幕を下ろす、そういう「習性」をもったひとが、実際にいる。
本人からすれば、上司に迎合しない自分、媚びない自分を誇っているのかもしれないけれども、
僕にはすこしちがうように見える。
そういう人たちには、「引き受ける」という感覚がない
もしくは、「引き受ける」という重荷を、無意識のうちに拒絶し、
単にやりたくないだけ、誰か他のひとがやればいいと思っているだけのことを、
適当なイチャモンを拾い集めて、並べ立てているに過ぎないのではないか、
とさえ思えることもある。
僕はよく無理目の仕事でも引き受けるタイプの人間で、
「断る力」なんてまったく持ち合わせていないのを自分でも自覚しているのですが、
でも、逆に「断る」ことがいまの自分に一番に必要なことだとは思っていません。
いまの自分に必要なのは、数多くのフィードバック(=他者からの評価)を得ること
これを肝に銘じているので、
断ること、拒絶すること、嫌悪することは、
フィードバックを得る機会の損失
だと思っています。
僕には、まだまだ自分で仕事を選べるほどの素養がありません。
自分の判断基準に自信がもてるように、日々その感覚を研ぎ澄ませるために、
僕は上司からフィードバックをもらい、軌道修正を繰り返しながら、センスを養っていく以外に、僕は有効な方法を知りません。
必要なのは、数稽古であり、場数勝負。
だから僕は、「断らない自分」を、上司に迎合しているとか、媚びているのではないかとか、そう思うのではなく、
「引き受けている」
と、思うようにしています。
面倒な仕事でも、自分にできることであれば、どんどん引き受ければいい。
上司に気に入られようと取り繕うのでなく、
自分の器を少しでも広げるため、ひとつでも多くのフィードバックを得るため、場数を踏んで仕事の感性を養うため、
まずは「イエス」と引き受けてみる。
この姿勢を、大事にしていこうと思っています。