愚痴は嫌い
仕事のストレスを発散させるために、ひたすら愚痴を言うひとがいます。
でも、ぼくは愚痴をいうのが嫌いです。
愚痴を言って、晴れやかな気分になれるのは一瞬です。それに、愚痴を聞いてくれたひとの気持ちを萎えさせてしまうことだってある。こんな負の連鎖を、自分から始めようとは思いません。
愚痴を言うひとって、「自分」が強すぎるように思います。
自分が正しくて、相手が間違っている。自分が正しいのだから、うまくいかない環境に不平不満をいう。
でもきっと、いつも「相手のせい、環境のせい」では、うまくいかない現状を打開することはできないのではないでしょうか。
フォーカスすべきことは、「快方に向かうこと」だと思います。
「快」と「不快」。愚痴を言い続けるのは、「不快」への道です。愚痴を言えば言うほど、相手や現状に対する不平不満が増長していく。自分で自分を苦しめている、そんな泥沼の状態にはまってしまいます。
そうじゃなくて、一旦自分で引き受けるということ。思い通りにならない相手も、環境も、一旦すべて引き受ける。そこから「快方に向かうこと」にフォーカスする。
そういう意識に変わると、結局、自分が変わるしかないな、と思えるものです。
相手に迎合するとか、うまくいかない環境に無理やり自分を納得させるのではなく。事象の捉え方や考え方、現状を見る視点など、自分の意識ひとつで変えられることはたくさんあるはずです。
自己の内面を微調整し、「快」の方向へチューニングしていく。愚痴を言うよりも、そっちのほうがよっぽど有益なんじゃないかと、ぼくは思います。