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30代サラリーマン応援ブログ。テーマ「仕事」「海外赴任・異文化」「英語学習」「家族」など

なぜタイ人は、ミスをした張本人が「マイ・ペンライ(気にしないで)!」と言うのか?

タイでは「マイ・ペンライ」という言葉がよく使われる。

ぼくはこの言葉を、「大丈夫」「気にしないで」という文脈でよく使う。英語で言うと、"Don't mind" や "You're welcome" のニュアンスだ。ぼくの周りの日本人も、よくこのような文脈で「マイ・ペンライ」を使っている。

ある日本人駐在員(仮名:E君)と、ぼくは愚痴をこぼしたことがある。

仕事でミスをしたり、仕事の納期に間に合わないとき、その当事者(=仕事のミスをした本人であり、仕事の納期を守れない本人)のタイ人スタッフが、「マイ・ペンライ」と口にする。それも特定のタイ人ではなく、多くの人たちが言っている。

仕事を指示・依頼した方が「マイ・ペンライ(大丈夫、気にしないで)」というならわかるが、どうしてミスをした本人が「マイ・ペンライ(大丈夫、気にしないで)」というのか、ぼくたちには理解できなかった。

ミスをしたけど気にしないでくれ、と開き直っているのか、そんなに騒ぎ立てるようなことじゃない、これはミスじゃないと、自分の過ちを「気にする必要がないほどの取るに足らないもの」だと主張しているのだろうか…。

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タイ語では、「マイ」は否定を示す。「ペンライ(正確にはペン・アライ)」は「何かが起きた」という意味で、普通ではない状態になったことを示す。

タイ人は、この「普通ではない状態」を嫌うらしい。いつも通りの平穏がつづき、「何も起こらないこと」を好むのが、タイ人の国民性のようだ。

「何か」が起きてしまったとき、すぐに元の「何でもない状態」に戻るように、相手の心の不安や怒りなどのざわつきが、すぐに平穏な状態に戻るようにと、タイ人は「マイ・ペンライ」の言葉をかける。責任逃れが責任回避ではなく、「平穏無事」に対する祈りであり、日ごろから「平穏無事」を祈るタイ人にとって、多くの場面でつかい合う挨拶のような言葉だ。

「マイ・ペンライ」という日常語の意味を正しく理解すると、異文化理解への鍵がひらくのを、ぼくは実感した。

タイ人は平穏を好む。だからこそ、他者に優しく、他者を思いやる。

こうした考え方が、彼らの行動原理になっていると仮定すると、日常の場面がまた新しい角度で見え始める。

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以前、同僚のタイ人スタッフにある仕事の指示を出した。

その仕事は、彼女たちにとって相当の業務負荷がかかることが想定されたため、ぼくは予め、仕事を完了させるのにどのくらい時間が必要かを確認した。

問われた彼女は、「いつまでやってほしいか指示してください。その通りにやります」と答えた。

ぼくは、彼女が自ら業務負荷を試算し、「この仕事なら〇〇日はかかる」と彼女なりの期限目標を提案するのを期待していた。「まず指示してほしい」という彼女を、自分の頭で考えない「指示待ち族」の考え方ではないか、とぼくはモヤモヤが残った。

いまふり返ると、彼女のあの返事には、もしかしたら彼女なりの「優しさ」があったのかもしれない。

あのときの返事は、希望期限を確認することでぼくの気持ちを共有し、ぼくの望むように仕事をうまく進めるから「安心」してほしい、という気遣いの言葉だったのかもしれない。

 

「マイ・ペンライ」を理解すると、タイ人とのコミュニケーションが、また違う角度から見え始める。異文化理解とは、こうした日常の小さな鍵を探し続ける努力のことを言うのだろう、とぼくは考えている。