海外赴任の「終わり」から見える新しい風景
タイに赴任して3年が経過した。
会社によって海外赴任期間は異なるけれど、ぼくの会社では3年が経過するとそろそろ帰国のタイミングを意識するようになる。前の上司も、3年半で帰国した。
当たり前のようになった海外での生活が、いつか終わる。どこかのタイミングでぼくは、羽田行きの片道チケットとともに、この国を離れることになる。
たとえとして適切かどうかはわからないけれど、余命宣告を受ければ、きっといま目の前にある瞬間の連なりが、とんでもなく貴重で、いとおしい時間に変わるのだろう。
海外での生活には、必ず終わりがやってくる。
今まで意識することもなかったけれど、1日1日の歩みとともに、1日1日が終わっている。
鈍感のまま3年が過ぎ、はっと「終わり」が見えるようになったこの時点が、言ってみれば「再スタート」のときなのかもしれない。この地点からの1日1日は、今までの1日1日とは明らかにちがう気がする。
ぼくはタイで一緒に働く同僚に、仲間たちに、会社に、後継者の皆に、何かを残すことができるだろうか。同時に、ぼく自身の頭のなかに、心のなかに、人生に、何かを刻むことができるだろうか。
何かを残そう、何かを刻もう、と思う。
明日からの1日は、ぼくにとってとんでもなく貴重で、いとおしい時間に変わるのだろう。