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30代サラリーマン応援ブログ。テーマ「仕事」「海外赴任・異文化」「英語学習」「家族」など

タイのメイドサービスの落とし穴

ぼくの住んでいるタイでは、日本人駐在員のほとんどはメイドサービスを利用していて、食器洗い・掃除や洗濯といった家事の一部をメイドさんがやってくれる。特に単身赴任者にはとてもありがたいサービスで、ぼくも随分このサービスのお世話になっている。

日常生活から、「面倒なこと」「億劫なこと」が減るというのは、たしかに楽なことではある。けれども、何故だか最近では、自分がやらなくちゃいけないことを他人に安易に「外注」することに、漠然とした危機感みたいなものを感じるようになった。

もちろん、仕事を抱える身としては、すべての家事を自分ひとりでこなすのは難しい。平日は残業もあるし、付き合いでの会食もあるから、夜遅くに帰宅してシャワーを浴びる余裕もなくそのまま寝てしまうこともある。こんなとき、何もしなくても食器が洗われ、ベッドが整い、部屋が小奇麗になっているとほんとうに助かる。

そうではあるけれども、でも、同時に「自分ひとりで生き抜く力」と言っては大げさだけれど、「一人前に自分の生活を自身で成り立たせる力」みたいなものが、日々すこしずつ喪失しているような不安が無意識に積み上げられていって、ようやく最近この危機感を自覚できるようになった。

誰かのお世話にならなければ、自分は自分の生活を組み立てることができないんじゃないか?

このままタイでの単身赴任生活を続け、自力で生活する力の弱った状態で、家庭生活に戻るというのは恐ろしいことだ。家庭とは、いかに「家族」といえども「他者との共同生活の場」であって、そこに自活できない人間が(しかも父親という立場の人間が)混入する。その後の悲劇(惨劇?)は、想像に難くない。

すべて家事をこなすのは困難にしろ、「自分ひとりでできること」を一つひとつ増やしていこう、と思う。クリーニングに出して済ませていたシャツも、自分で洗い、自分でアイロンをかける。部屋を乱雑にしない。食事をしたら、なるべく自分で食器を洗う。外食ばかりでなく、自炊もする。

生活を営むうえでの主導権みたいなものを、安易に手放さないことだ。しっかりと意識していなくては、どこまでも「便利」「楽」「効率」という誘惑に流されてしまう。

ほんのちょっぴりの決意だけれど、それをぼくは大事にしたいと思っている。