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30代サラリーマン応援ブログ。テーマ「仕事」「海外赴任・異文化」「英語学習」「家族」など

ランニング・ハイ!

ぼくは、持久走が嫌いだった。

もともと体力がない。小学校の運動会で一番憂鬱なのが、持久走。長い距離をひたすら走る。息が苦しく、足が重い。先にゴールする友だちがうらやましい。ぼくも頑張ってはいるけれども、ゴールは遠い。どうしてこんな競技があるのか、と開きなおる。こんなに長い距離を走らなければならない場面なんて、きっとないはず…。

 

いま住んでいるバンコクのコンドミニアムには、トレーニングルームがある。ランニングマシーンで走りながら、ぼくはずっと昔のことを思い出していた。

そういえば、小学から野球を始めたぼくは、体力づくりのために早朝ひとりで学校のグラウンドを走った。実家から小学校まで、徒歩5分。早朝に校庭を何周かまわり、朝食前に家に戻った。

あのとき、早朝の誰もいないグラウンドを、自分のペースで走るのは気持ちがよかった。早起きなんて大の苦手で、何をするにも「三日坊主」になりがちなぼくでも、この早朝ランニングはしばらく続けることができた。

誰かとの競争ではなく、自分のペースで好きなように走る。

運動会での持久走という「競技」は嫌いだったが、「走ること」自体は好きだったのかもしれない。

あのとき、「自分のペースでいい」「走ることの気持ちよさを感じよう」と先生が促してくれていたら、持久走に対する意識もちがっていたかもしれない。

 

マシーンのギアを上げ、ペースを上げて走りながらぼくは考えていた。

最近、教育評論家であり大学教授の尾木直樹さんの本を読んだ。

印象に残っているのが、「教育に競争原理を導入しても子どもの学力は向上しない」という言葉だった。しかもそれが、今では「世界の常識」であるらしい。

かつてサッチャー政権下にあったイギリスが、競争原理を導入した教育改革に取り組んだが、結果は失敗に終わっている。競争は「向上」ではなく「格差」をもたらした。一部の「成績優秀な子」と、多数の「落ちこぼれ」を生み、その「格差」は大きく広がった。学校全体の学力は、向上しなかったという。

 

世界でもトップクラスの学力成績を修めるフィンランドでは、「競争のない教育」が行われている。教育改革を主導したかつての教育大臣は、「一人の落ちこぼれも出さず、国民全体の教育水準を引き上げること」をモットーに掲げた。

序列をつけるためのテストは一切しない。子どもたちには、それぞれの習熟度に合わせて個別にカリキュラムが設定される。授業スタイルは日本のような「一斉授業」ではなく、子どもたち一人ひとりが違う問題に取り組み、教師が見回りながら個別に指導をする。

「個」を尊重し、「できない子」を決して「落ちこぼれ」にしない。子どもが基礎学力をつけるのに必要であれば、義務教育期間であっても留年をさせ、基礎学力の習得を保証する。

 

あのとき、運動会での持久走は「序列をつけるための競技」だった。

走る喜びを、みずみずしい感性で感じ入る隙もなかった。無味乾燥とした、冷徹な競争原理のなかでぼくは走っていた(苦手だった分、言い方がきついけれど)。

それに対して、自分のペースで、走ることの気持ちよさを感じながらのランニングは楽しい!

マシーンを止め、汗ばんだ顔をタオルで拭きながら、ぼくはフィンランドの子どもたちを少し羨ましく感じていた。