訳ありのおっさんとアユタヤの象を見に行った話
仕事で知り合ったおっさんと、ぼくはアユタヤに出かけた。
そのおっさんはタイ在住歴が長く、タイに詳しい。前職は不明だが、マスコミ関連か何かで働いていたようだ。
バンコクからアユタヤまで、ぼくたちはローカルの電車で移動した。
電車は、出発時間を過ぎても一向に動かない。30分が経過した頃、ようやく重い腰をあげるように、アユタヤへと走り出した。
電車はもともと貨物を載せて走る仕様のようで、ゆっくり走った。車内にエアコンはなく、乗客たちは窓を開けて風を取り込んだ。
出発時間が近づくにつれて車内は乗客たちでいっぱいになったが、運よくぼくとおっさんは、タイ人カップルの対面座席を確保することができていた。
よく見ると、隣の車両の特定エリアの座席が空いている。あれは何かと尋ねると、おっさんは「僧侶が座るための専用シート」だと答えた。ほどなく僧侶たちが乗車し、その専用座席をいっぱいにした。
アユタヤ駅に着くと、観光案内を生業としているらしいおばさんたちが、片言の日本語で「アユタヤ市内の観光スポットを案内するわ!」と営業をしている。宿泊先の紹介もしているらしい。
当然ぼくたちの方にも寄ってきたが、おっさんの顔を見ると、「まあ、久しぶり!」と驚き、旧知の知り合いかのようにタイ語で挨拶を交わし、そのおばさんは去っていってしまった。
このおっさんは、何者だろうか。
おっさんは「象使いの住む村」に行きたいと言い、ぼくはそれに合意した。
おっさんがレンタルバイクを手配し、ぼくはその後ろに乗った。
男の背中に密着するのも気が引けたし、おっさんも嫌だろうと思って少し間隔をあけたが、「後ろに体重がかかるとウィリーしてしまう」と言うので、ぼくはおっさんの背中に密着した。
象はパイナップルが好物だと言い、途中の市場でおっさんがバイクを止めた。
その市場で大きな袋いっぱいパイナップルを買ったが、パイナップルの皮の鋭い棘が袋を破り、ぼくは棘で怪我をしないように細心の注意を払ってその重い袋を持った。
バイクで20分くらい走っただろうか。実際はもっと短い時間かもしれない。ぼくたちは無事、「象使いの住む村」に着いた。
今となってはもう行き方もわからない場所に、その村はあった。
象使いが住んでいるという建築物もあったが、立入りを禁じられた。
ぼくたちは、象を眺めて時を過ごした。なかには、日本の動物園では見ることのできない小象もいる。
欧米人の家族が、その小象に水を浴びせて遊んでいる。その家族は、お金を支払ってツアーに参加しているらしい。
ぼくたちはとくにお金を払って来ているわけではないので、ぼくたちには小象と遊ぶ権利はなかった。
象に食べさせる餌として、ぼくの腕よりも太い巨大なキュウリが売られている。それを買い象に与えると、象は鼻を巧みに使いながら口に運んだ。
おっさんは、「いつもキュウリだけじゃ物足りないだろう」と、買ってきたパイナップルを与えた。
パイナップルには鋭い棘があり、どうやって食すのだろうかと見つめていると、象は棘などお構いなしに長い鼻でぐるりと掴み、それを口に入れた。人間の皮膚を容易く傷つけるパイナップルの棘も、象にとっては気にする必要がなかった。
パイナップルを食べた象は、今までキュウリを食べたあとのリアクションと全くちがい、大きく体を上げ、ご馳走の喜びで小躍りしているように見えた。
おっさんは、満足気な表情をしていた。ぼくは、このおっさんは象の気持ちが分かるのかもしれない、と思った。
しばらく象を見たあと、ぼくたちは周囲を散策した。のどかと表現するのが適切かはわからないが、とにかく未墾の地を歩いた。
茶色く淀んだ川があり、そのほとりに近づくと、その川には年配の女性がからだを沈めていた。川のごみを集めているのか、からだを清めているのか、涼んでいるのか。何をしているのかは、最後まで分からなかった。
少年が、川に向かって自作の釣り針に餌をつけ、釣りをしている。
この淀んだ川にどんな魚がいるのか知らないが、もしかしたら少年にとって魚が釣れるかどうかは関係のないことだったのかもしれない。少年は何度も針に餌をつけなおし、川に向かって投げ続けた。
少年は、「日本人か?」とぼくたちに尋ねた。
簡単なタイ語なら、ぼくにもある程度はわかる。タイ語が流暢なおっさんとその少年は、しばし会話をした。おっさんは特に日本語に訳してはくれないが、単語を拾いながら、ぼくはその会話を聞いていた。
「日本はどんなところか?」と、少年は言った。
おそらくこの少年にとって、日本という国は遠い異国の地であり、きっとバンコクに住むハイソなタイ人のように、気軽に遊びに行ける国ではなかった。お伽話の世界のような、現実世界とはまったく違う世界を、あるいは想像していたかもしれない。
「日本には何もない。タイのほうが豊かだ」と、おっさんは返した。そのおっさんの表情は、何かを悟ったようでもあり、もの悲しさを秘めているようでもあった。
少年は驚いた顔をしていた。
ぼくは、このおっさんの、語られることのない空白の過去に思いを馳せながら、「象使いの住む村」をあとにした。