シドニー語学学校で気づいた日本人の英語力の不自然なバランスとは
シドニーの語学学校では、毎朝、生徒と先生がテーブルを囲み、クッキーとコーヒーを口にしながらフリートークをする。
「授業」という形式ではなく、自然と人が集まり、誰が話題を提供するという事前の決まりもなく、雑談のように最近の出来事や気になる新聞記事についての話をする。
僕のクラスでは、僕のほかに日本人が1名と、ドイツ人の女性が1名いた。
そのドイツ人の女性はもともとファイザー製薬に勤めていたが、所属部門ごと不採算のため「首切り」にあったらしい。そこで再就職の前に、今までの貯金で彼氏と一緒にオーストラリア大陸を旅するつもりだと僕たちに話した。その壮大な旅の前に、英語を勉強するために授業を受けている。
毎朝のフリートークでは、たいていの場合、先生が生徒たちの様子を見ながら、発言する機会を采配する。発言していない生徒には、話題を振ったり、意見を求めたりする。
僕と一緒のクラスにいたその日本人(仮名:S君)は、性格が気さくで明るく、すぐに打ち解けて仲良くなったけれども、英語で話すのは苦手のようだった。
話題もあり、意見もあるが、英語が出てこない。もどかしく苦労している様子は、隣にいた僕にもわかった。
フリートークが終わると、それぞれの個別レッスンに移る。各人が、それぞれの先生とのマンツーマンレッスンが始まる。その時間に、僕の先生が、S君のことを心配してこう言った。
「S君は、言いたいことがあるのに言わない。彼はシャイ過ぎるわ」
この語学学校では、初日に英語の実力テストを受ける。
テストは、筆記試験が主で、そのあと簡単な面接が続く。面接での質疑応答は難しくない内容で、おそらく筆記試験の成績で英語の実力を推し量られる。
推測だけれども、S君の筆記試験の成績は良かった。きっとその先生は、S君の実力であれば英語をもっと話せて当然だと認識していた。
なのにフリートークであまり発言しないS君を見て、すこし性格的に問題があると思ったにちがいない。
もちろん、S君には性格的な問題など少しもない。気さくで明るい彼の印象と、先生の評価とのギャップに僕は一瞬驚いたけれど、そのギャップの正体も同時に理解した。
「S君はシャイなのではなく、英語を話すこと自体が苦手なのです」と、ぼくは返した。
先生は僕の答えにハッとした表情を見せ、納得したようだった。
難しい単語を知り、複雑な文法を正確に理解できるが、会話ができない。それは、S君も僕も、そして日本人の多くが直面している課題だ。
同じクラスのドイツ人の女性は、筆記試験はきっと僕たちと同じような出来であっても、会話能力ははるかに優れていた。
英語とドイツ語では言語の類似性があり、日本人の僕たちと比べて英語を習得しやすいのかもしれないけれど、それでも日本人の「英語を読む・書く」と「英語で話す・聞く」の能力のギャップの大きさは、ネイティブには不自然すぎるほどのギャップに見えるらしい。
このギャップを埋めるための英語教育が日本のこれからの子どもたちには必要だと、僕は思った。