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30代サラリーマン応援ブログ。テーマ「仕事」「海外赴任・異文化」「英語学習」「家族」など

部下に優しくなれないのは「できない自分」から逃げているからだ

ジムで懸垂をやったら5回が限界だった。

30分間ほど走ったあと、細い腕を伸ばして器具にぶら下がり「さあ懸垂!」と意気込んだが、ぶら下がってるだけで結構キツい。からだが持ち上がらなかったのでかるくジャンプしてからだを浮かせた。そこから、5回。

懸垂は久しぶりだったけれども、もうすこしできると思っていただけに「できない現実」に驚きながら「しょぼいなあ」と自分が情けなくもなった。

でも、「できないこと」を素直に認めるのはずいぶん久しぶりのようにも思う。ジムで「しょぼい自分」が浮き彫りになるかもしれない、そんな小さなチャレンジにもいつの間にか手を出さなくなっていた。運動も仕事も、できること・できるとわかっていることばかりに取り組むくせがついているのかもしれない。

「うわぁ、これはできない!」「おれ、しょぼいなぁ」と、できないことを楽しむ心をいつの間にか萎えさせてはいないだろうか、とぼくは考えた。

海外の仕事では、ナショナルスタッフのアウトプットに納得できないことがよくある。日本人なら同じ仕事をもっと速く効率的にできるのに、どうしてタイ人スタッフはできないんだろうと。

文化や考え方や価値観のちがいがある。コミュニケーションの壁も大きい。仕事の習熟度もちがう。それらをわかっているはずなのに、タイ人ができないことに苛立ってしまうことがぼくにはある。

けれども、他人の「できない」が許せないのは、自分が自分の「できない」から逃げているからじゃないか、とぼくは思い直した。「できない」を楽しむという発想もありだ

タイ人の仕事の成果が思うように出てこない。ならばその「できない」を受け入れて、どうやったらできるか、なにが必要か、どんなサポートをぼくが提供できるかと思考を前にすすめる。そのプロセスを楽しんいく。

そんなメンタリティーをぼくは育てたい。難しいのかもしれないが、やがてできるようになるはず。懸垂と同じだ。

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