仕事には、「つかまえどき」がある。つかみにいくひとと、逃すひと
「いま、逃げているな(自分)」とおもうときがある。仕事をしていると、たとえば気が乗らない仕事だった場合、取りかかる前にブレイクを気取ってほかの雑事に走ったり、調べものをしたりして時間を潰したり。
ちょっと重たい、難易度の高い仕事に取りかかる前の肩慣らし。準備運動。そういって、でも気がつけば結構な時間が過ぎてしまっていて、その仕事に取りかかる糸口を見逃している自分に気づく。こんなことが、ぼくにはあります。
仕事には、「つかまえどき」があるんじゃないか、と最近おもう。そこを逃すと、もう一度その「とき」がくるまで、随分と時間がかかる、そんなタイミングが。
あの仕事をしよう、ああ、あれやらなくちゃって、おもったその「とき」、心の水面に少しのさざ波が生まれたその瞬間が、仕事の「つかまえどき」だ。
大きくても小さくても、何かひとつの仕事をやり終えてから、つぎの新たな仕事を前にしたとき、小休止や気分転換がほしい。常に走りっぱなしじゃすぐに故障してしまうから、休憩は大事。それはごもっともなのかもしれないけれど、あえて「休憩」が頭にチラついたその瞬間に、アクセルを踏みこんでみる。こんな挑戦も、たまには必要なわけです。
難しい仕事だとか、気の乗らない仕事でも、仕事は仕事。誰かがやらなければ完結しないし、それをやるのがぼくの役目だし。言い換えれば、ぼくの「価値」だし。
向き合わなければいけない仕事に躊躇する。そんな時間を、無防備のままに量産してはいけない。自分を律するなんて柄じゃないけれど、でも、「逃げている時間」は結局ぼくに充実感を与えてくれない。それは、すごく実感していて。
だから、1日1歩でいい。せめて、「逃げようとしている自分」を「休憩」とか「気分転換」とか正当化してないで、「みすみす逃そうとしている仕事のきっかけを、いまつかまえにいけ!」と背中、叩いていきたいとおもいます。押忍!