単身赴任。妻の「こころのケア」には、居酒屋のノリでとことん愚痴を聞こう。
単身赴任、しかも海外となると、日本で暮す妻と子どもたちの「こころのケア」が必要なのは言うまでもないのだけれど、だからと言ってあまり肩肘張らない、構えすぎないことが大事なんじゃないかとおもいます。
今日、妻から子育てに関する愚痴が届きました。子どもたちが言うことを聞かないし、外出先でグズグズして座りこんだりするし、かとおもえば姉妹でふざけて走りまわる。LINEには、この「許しがたい現状」に対する妻の愚痴がワーッと溢れていて、怒り顔のスタンプがこれでもか!というほどに押されていました。
このとき、ぼくはなんというか、妻が「孤独」だったんだな、と思いました。
夫が海外赴任しているから、そばにいないから「孤独」なのではなくて、
「こんなことがあった」「あんなことがあった」と、大変だったことや嫌なおもいをしたことなどを、鬱屈したものが溜まりつつある段階で、ふと気軽に分かち合える「誰か」。
それは夫だったり、親だったり、親戚のおばちゃんだったり、近所のママ友だったり、職場の仲間だったりするのだろうけれど、そういう「誰か」が、今日はいなかったんだなぁ、と。
子育ての大変さの、ほんとうの谷底をぼくは知らないけれども、それでも妻が子どもたちを憎んでいるわけではないことを、ぼくは知っている。
妻がこんなLINEを送ってきたのは、「ちょっと愚痴につきあって!」というのがきっと純粋な目的で、「言うことを聞かない、グズったりふざけたりする子どもにどう対処したらいいか?」という問いの「答え」を求めているわけではないのでしょう。
ぼくにできることは、だからただその話に耳を傾けるということ。解決法を提示したり、意見をのべるのではなくて、「大変だったね」とうなずいて、もっと妻から「聞いてほしい愚痴」を引き出して、また「大変だったね」とうなずく。
「こころの孤独」を、いま晴らそうと試みている彼女をサポートする。
「こころのケア」に関しては、専門家でもないぼくが言うのは身分ちがいも甚だしいけれど、何かの問題を解決しようと肩肘張って向きあうよりも、「愚痴ならとことんつき合うよ!」っていう、居酒屋のノリでただ聞くこと、うなずくことを意識するほうが、意外とうまくいくんじゃないかな、と思いました。