サラリーマン年収の二極化と人材価値
日本企業はいま、「年功序列」や「終身雇用」という考え方を見直し、「成果主義」を人事制度に採用していくという大きな流れのなかにあります。
背景は、「社員重視」から「株主重視」への経営スタイルの変化
という視点で、僕はざっくりと捉えています(前々回の記事)。
国際会計基準では、企業活動の成果(=出資金をもとにいかに利益を出したか)を、しっかりと株主に説明することが求められます。
企業が利益を増やすためには、
①売上を増やす か
②コストを減らす
の2択しかありません。
企業の活動を「家計」に置き換えて考えてみると分かりやすいのですが、家計で「貯金」を増やそうと思ったら、確実な方法が「生活費を見直す(=削る)」ことです。
同じように、企業活動も、「利益」を増やそうと考えた場合、まず確実なのが「コストを抑えること」です(利益=売上ーコスト)。
僕たちサラリーマンの給与・賞与も、企業から見れば「人件費」というコストですから、僕たちの給与・賞与は、常に削減のリスクに晒されている、と認識しておくことが大切です。
日本企業での平均年収が下がる
という現象は、いまの企業経営の枠組みのなかでは、必然的に発生するものです。
ただし、「平均年収が下がる」といっても、全サラリーマンの年収が同じように下がるわけではありません。
「高所得層と低所得層の二極化がより顕著になる」という現象を生じながら、全体として平均値は下がる
ということです。
(逆にいうと、平均値としては下がるが、高所得層は相対的により高所得になっていく、ということです)
僕たちサラリーマンはいま、「年収の問題」に無関心ではいられない時代に生きています。「そこそこの給料があれば・・・」という発想では、近い将来、「そこそこの給料」という水準がなくなったとき、待つのは「低所得層」への道です。
企業は、いま以上に、人材価値の(相対的に)高い社員には高い賃金を支払い、人材価値の(相対的に)低い社員の賃金を低く抑えるようになっていく。
つまり、「成果主義」とは、年齢や勤務年数を問わず、社員の仕事の成果を正しく人事評価に反映することで「機会(チャンス)の平等」を実現するというポジティブな一面がある一方、
「人材価値」が高い社員にならなければ、(人事・処遇面で)明確に振り落とされてしまうサバイバル・ゲームに、全社員を強制参加させているのです。
この構造を認識した上で、僕たちサラリーマンに出来ること。
それが、「人材価値の高い社員になる」ための準備をいまから仕掛けていくことです。
では、「人材価値の高い社員になる」とは、どういうことか?
次回以降、発信していきたいと思います。