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30代サラリーマン応援ブログ。テーマ「仕事」「海外赴任・異文化」「英語学習」「家族」など

嫌な上司が「いい上司」になる思考法

「いい上司」って、どんな人だろう?

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先日とあるネット記事で、日本人の若者が仕事に求めるもののトップは、
「いい上司」だという調査結果が出ていました。
―いい上司。
確かに納得できそうな気はするのだけど、何か喉元に引っかかって

素直に飲み下すことのできないこの言葉、
「いい上司」ってなんだろう?
たとえば、仕事のミスに大らかで、社会人としてのマナー、気遣いも、多少のことなら目を瞑り、部下との仲間意識が強く、何でも対等な立場で発言をし、

和を尊び、部下への指示を遠慮し、自分自身で仕事を抱え込んでやってくれる、
そんな上司がいたら、部下としてはラクだと思います。
そして部下はその上司を「いい上司」と評価するのかもしれません。
「この人の部下でよかった」と、その巡り合いに感謝をするのかもしれません。
だけど、その文脈での「いい」は、単に「都合のいい存在」であることを
示すに過ぎないのではないか、と僕は思います。
果たして、自分にとって「都合のいい上司」が、本当に「いい上司」なのか?
この命題を裏返して、
目の前にいる嫌な上司、いつも資料に難癖をつけ、「もっと気を回せ」と
いつになっても社会人のマナーを細部に押しつける、その上司は、
果たして「悪い上司」と断言できるのか?
その言葉のひと欠片にでも、自分を成長させるためのヒントがあったとしたら?
「自分にとって都合がいいかどうか?」という基準と、
「いまの自分がもっと成長できるか?」という基準。
後者の基準を選択するとき、いままで「嫌な上司」と括っていたその枠のなかに、
ひとつでもふたつでも、自分をもっと成長させていけそうな何か、
いままで気づけなかったことに目を開かせ、届かなかった配慮を自覚させ、
自らの不足を反省させ、もっと高い水準へと行動を駆り立てるような、
そんな何かを見出すことができるのかもしれない。
そのきっかけがある限り、いっそのこと、嫌なヤツでも、
気分が悪くなる相手でも、なるべく関わりたくない存在でも、
「いい上司!」と太鼓判を押してしまえば、不思議と胆に覚悟が落ちて、
少しでも創造的な関係をつくっていくことができるような気がする。

僕は、そう思います。